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中川:それから、今日はこの人が来るなと思うとその人が来るでしょう、ねえ。僕はそれをいっとう初めに感じたのはね、横浜の駅を降りたんです。そしてね、もう何十年間か会ったことのない中学校の友達に会うと思っちゃったんだけど、そしたら会っちゃったんですよ。それからね、ずっと、しばしば家にいてもありますね“あっ、あの人”と思うと、その人が来ちゃう、ということがありますね。


野口:非常に敏感で、動物的な勘を失わないんです。


中川:はあ。


野口:私、死ぬ人はすぐ判るんです。今日は誰が死ぬって判るんです。電話が鳴ると、その電話が、あっ、死ぬ人だって判るんです。顔を見たこともないのに死ぬ人が判るんです。


中川:うん。本当に、不思議っていえば不思議だけども、そういうことはありますね。


野口:はい。私は味方を得たようです。百人の味方を得たよりずっと心強い。


中川:そのう、両方とも違った道から来てそうなっちゃった。これは、同じことをやっていて、そうなるっていうのと違うんですよ。両方から来て同じになるっていうのは、それはもう味方ですよ。


野口:春夏秋冬の駒ヶ岳……春夏秋冬を離れた駒ヶ岳が欲しいですね。ずっと通して同じもの、変わらない駒ヶ岳。


中川:ああいうふうな山を描いていても、山と自分とがこう一緒になっちゃう……普通の絵描きが描くと、山は山、自分は自分と分かれちゃっている。僕なんかのやり方だと、山と一緒になっちゃうんですよね。


野口:それで絵になるんですね。


中川:それでね、こっちはちっとも考えないんですよ。山がね、命令するようになる。で、その通りに描いていればいいわけです。


野口:考える余地があるのは絵じゃないです。


中川:そうそう。そうなってしまう。そういう時に、絵がちゃんと描ける時は腹に力が入るんです。


野口:腹に力が入っている時はベストの時です。入神とかいいますが。


中川:そうです。だから僕は肉体っていうものをね、考えだしたんですよ。これは大変なものですよ。でも今日は、僕の考えも確かめたし、とてもおもしろかった。


野口:私も大変嬉しかったです。


中川:前から私はこういうようにして勉強してきたもんでね、こういうことを話しても解る人がいないんですよ。解らないのに話したって無駄ですからね。それで話したことないんです。


野口:私は今日は一番安心しました。嬉しかったです。


中川:いや、今日は本当に嬉しかったです。ええ。


野口:本当にありがとうございました。


(昭和51年1月28日 多摩川河畔・土筆亭にて収録)

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勘を育てる――教育における「機」「度」「間」

勘を育てる――教育における「機」「度」「間」

中川一政    野口晴哉

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