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  • 禅語や白楽天の漢詩を好んだ野口の書は独学。写真で書いている「看脚下」(足元を見よの意)は臨済の言葉。
  • 「至道無難」(至道は無難なりの意)。二十代の頃に書かれたものだと思われる。晩年の書体に比べ、力が入っているのがわかる。
  • 「好風朧月」は白楽天の漢詩から。 60代の晩年期に書かれたもの
  • 入谷に道場を開いて活動を始めた10代後半の野口
  • 独創的な書風を確立し、「明治の三筆」の一人にも数えられる中林悟竹(佐賀県小城市出身、1827-1913)は好んで収集した唯一の書家だった。野口の個性的な書風にも悟竹の影響があったとみられる
  • 独創的な書風を確立し、「明治の三筆」の一人にも数えられる中林悟竹(佐賀県小城市出身、1827-1913)は好んで収集した唯一の書家だった。野口の個性的な書風にも悟竹の影響があったとみられる
  • 若い頃、ある雨の日に地面がぬかるんでいて、足袋を汚したために朴歯の高下駄にしたという。以来、紬の袴に朴歯の下駄が「正装」となり、戦災時に下落合の自宅を焼け出された際も悟竹の屏風とカザルスのレコードとともに持って出るほどの愛着品だった
  • 「天地一指」(あらゆる差別、対立を超越した絶対的な立場から見れば、天も地も同じ一本の指にすぎないの意)は荘子の言葉
  • 箱根にある野口晴哉記念館の床の間に飾られた「煙雨」
  • 二子玉川にある整体協会の本部道場に到着した朝の風景
  • 野口は自分の欲しい物を折に触れて書き記し、車はベントレーとアルビスだったという。この1953年型のベントレーは、倒産寸前のある会社から最初は「700万円」で購入打診があったもの。欲しいが余りにも高額故、「思い切って300万値切ったら、それでもいいと言われて、買わざるを得なくなった」そうだ
  • 白雲泉 天平山上白雲泉 雲自無心水自閒  何必奔衡山下去 更添波浪向人閒 白雲泉 天平山上の白雲泉 雲自ら無心にして水自ら間なり 何ぞ必ずしも山下に奔衡し去り 更に波浪を添えて人間に向かわんや
  • 講義中の野口。黒板に書かれた「漠たる一点」は野口が潜在意識教育法について語る際に好んで使っていた言葉のひとつ
  • 講習会で整体操法における型の実演指導を行う野口。実際の整体指導は畳の上で行われていた
  • 箱根にある野口晴哉記念館に再現された自宅書斎。生前は原稿の執筆など多くの時間をこの書斎で過ごした
  • 執筆の際はインクで手を汚さないように必ず左から書いた
  • 凊月夜 好風朧月凊明夜 碧砌紅軒刺史家 獨遶廻廊行復歇 遙聽絃管暗看花 清明の夜 好風朧月 清明の夜 碧砌紅軒 刺史の家 独り廻廊を遶り行きて復歇い 遙かに絃管を聴きて暗に花を看る
  • 亡くなった1976年の正月に書かれた「無」
  • 著作の出版や活元運動の普及を通して野口を支え続けた妻・昭子と

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